逆張りの逆張りのそのまた逆張りの……

今さらこんなことでああだこうだと消耗しているのもあほらしいと思うし言及するのもナンセンスだと思ったけど書く気になったので仕方がない。自分の最初の気持ちを大切にしたい。鉄は熱いうちに打て。オタクは暑がりなのですぐ打ちたがる。

 

オタクはなぜ逆張りしてしまうのかなんとなく考えて、オタクに湧く様々な欲求の中でその2つが原因になっているのではないかと結論付けた。その2つの欲求が「他のオタクに対してマウントを取りたい」「何らかの新しい構図を発見、そして言及したい」である。1つ目が主な原因。2つ目の方は少し曖昧でまだよく言語化できていないが許してほしい。

 

1.他のオタクに対してマウントを取りたい

オタクを始めたころならば流行に乗って楽しめるだけで気持ちよくなれる。しかしオタクとしての自我が芽吹き始めるとそのことに疑問を持ち始める。流行り始めていたころは良かったがそれが身の回りのオタクたちの興味の的になりだすと暑がりなくせに冷めやすいオタクは他人を冷めた目で見て俯瞰してしまいがちなのだ。この時点で他に対して優位に立てているつもりになっている奴もいるが何も取れてはいない。まぁ他人に対してそうありたい気持ちは何者にも成れていないことを自覚している人にとっては常にあるものなのかもしれないし、こういう気持ちとは反対にかつてのオタク1年目のような気持ちも当然残っているままなのでその間でオタクは苦しみがちである。

2.何らかの新しい構図を発見、そして言及したい

オタクになったオタクらがアニメであったり漫画であったり何なりに対しての知識欲を全員持っているし、それで得られた知識について自分なりの考えを持っているべきと自分は考えている。そしてその結果で得られた様々な自分の解釈を他人に見てほしいし、共感してほしいという気持ちがある。自分なりの解釈を得られたとき、それは本当に気持ちがいいことであり、さらに認められるのであれば絶頂だ。

 

そしてマウントを取りたいという気持ちが肥大化したときに2つ目の欲求がマウントを取るための道具として使われ、その結果が逆張りとなる。自分の持ち得る構図を総動員して、足りなければ他人の道具を借りてこの際自分の理解など関係無しに他人にそれをかざす。そしてそのようにマウントを取るオタクが増えてくると再び他人の道具を借りて逆張りしているオタクたちにマウントを取るため逆張りを繰り返す。逆張り逆張りは順張りなんかではない。この逆張りのスパイラルは終わりのない螺旋階段を登るようなもので上にいる人は下の人を見下せている気分でいるが、下にいる人は上にいる人を見てはどこへ向かうのだろうと不思議に思う。

 

逆張りのスパイラルに陥っていると気付いたとき、オタクは何も言えなくなる。(語り得ぬものについてさえ語ってしまうのがオタクの特徴と言ってもいいほどなのに。)それは言及することさえ順張りでダサいと感じるからだ。言ってしまえば逆張りスパイラルに対しての逆張りがそこで生まれる。逆張りしたがるオタクは自分の考えが弱いし作品に向き合っているかと言えばそこまでであり視線はいつも他のオタクに向いている。自我が生まれたばかりで自立できないから他人によって自己を確立させるしかないからなのだろうか。まず自分の考えが確立していたりするならマウントを取る必要もないだろう。2つの欲求が逆張りを生むと初めに言ったが、それはつまり2つの欲求の不均衡によって生まれるもので2つ目の欲求のままに忠実に従い進んで共感さえもそれほど必要としなくなった時がオタクが逆張りから逃れられる時なのかもしれない。

 

ある言動が逆張りかどうか考えたところで結局何も生まないことは皆がなんとなく気づいている。それでも考えずにはいられないのは他の逆張りオタクに馬鹿にされたところで何も痛くはないはずなのにその言動がそのように馬鹿にされる恐れがあるからだ。そういうのをオタクはひどく嫌う。

 

自分の言動が他人にどう思われようとそれに最初に触れたときの感情を大切にしていきたい。かといってそれに縛られることなく他人の視線に捉われることなく自分の考えを深められることができるのならオタク人生冥利に尽きると思う。